「女性大会議」無事終了いたしました!
ありがとうございます。
今回の公演で、私たちトレメンドスサーカスは「ラディカル・ヴィクティム・フェミニズム」について提唱しました。
私たちの基礎を言語化した、性暴力被害者をスケールにして物事を捉える、フェミニズムです。
こちらに声明を発表いたしました。ぜひお読みください。
ラディカル・ヴィクティム・フェミニズムについて
概要
トレメンドスのフェミニズムは、ラディカル・フェミニズムを基盤とするが、まず全ての女性、いわば“抽象的女性”を、対象として考えることはない。我々のフェミニズムは、誰も置き去りにしないという“みんなのフェミニズム”の中で、後回しにされ、割りを食ってきた、女性性暴力・暴力被害者を、フェミニズムの“基準”とするものである。
近親姦など児童性虐待され、男のせいでシングルマザーにさせられ、DVされ、貧困などを理由に性売買・ポルノ出演させられ、戦時下も含めた一生のあらゆる場面で、暴力・レイプ被害に遭い続けてきた、女性性暴力・暴力被害者は、まず緊急性が高く、トリアージなされねばならない。彼らの声なき声を、小さき声を聞き、女性差別撤廃という抵抗運動においての叫び声、あらゆる計画、立案、実行、改善の物差しとすること、それが我々の考える、ラディカル・ヴィクティム・フェミニズムである。
まず我々のフェミニズムは、精神科医でありフェミニストのジュディス・L・ハーマンがまとめた、女性被害者の心的外傷後ストレス障害の治療をベースにしながら、当事者抵抗運動を行う。
ジュディス・ハーマンは著書「心的外傷と回復」においてこう述べている。
<心的外傷体験の核心は孤立と無援である。回復体験の核心は有力化と再結合である>
<結局のところ、心的外傷を癒やすためには身体と脳と心を一つに統合することが必要なのだという、基本に立ち戻ることになる。まず安全な場を持つこと、そして思い出すこと、服喪追悼すること、そしてコミュニティにもう一度つながることである。…回復の土台となるのは、心理療法と社会的支援である。この原理は…変わることはない>
①安全な場を持つこと
心的外傷(トラウマ)治療の基礎は、まず安全安心空間の確保である。DVシェルターや女性専用車両などはその代表たるものであるが、女性が夜、男性の性的暴行を恐れ、自由にコンビニにも行けず、ジョギングもできないような、日常生活のどこにも安全空間がない状況を改善する必要があると考える。例えば乗車率が改善されない満員電車が、痴漢被害を生んでいるとも言える。見渡せば、教育、医療、介護、演劇など芸術分野に至るまで、あらゆる分野で女性は男性によって性加害されている。日本は世界一のポルノ大国でもあり、コンビニのグラビア雑誌にとどまらず、ネットの広告に至るまで、女性を性的物化を目にしない日はない。
様々な解決されるべき課題はあると思うが、“女性だけの町”や“女性だけの国家”が、女性専用車両と同じように社会的に支援されて設立されることも求められるべきであると考える。元々共用であった公共トイレが、男性の性加害によって、女男それぞれ専用となったように、女性が男性に絶対にレイプされない空間が必要だ。
たとえばラディカル・ヴィクティム・フェミニズムにおいては、昨今フェミニズムの主要課題であるトランス問題も、女性性暴力被害者を基準として考える。女性の中にはいわゆるトランス女性と一緒に公衆浴場に入れるという方も多いかもしれない。だが、性暴力被害女性の中に、“一人でも”トランス女性と一緒にお風呂に入れないという人間がいるなら、女性専用風呂の死守が求められていく。
これまでの女男共用の市町村・国家運営に共存する形で、電車の女性専用車両のような町が存在するならば、例えば出産のみ、“女性だけの町”で行うなど、様々な選択肢が女性に生まれるように思う。
同時に男性に対して、身体的に不利な女性が被害に合わぬよう、基礎教育としての格闘技の学びの場を提供すること、男性が女性に対して行う戦時性暴力や、そもそも男性が始める戦争を女性という属性が止めるための国際女性軍の設立なども検討されるべきであろうと考える。
私達が男性支配社会に求めるものは、障がい当事者運動におけるユニバーサルデザインのように、社会システムに、女性性暴力・暴力被害者の視点と支援を組み入れ、中心にせよということである。ストーンウォール事件から考えられないほど、LGBTが中心の社会になってきたのだから、やろうと思えばすぐできることである。
②有力化
元々ヴィクティム・フェミニズム(被害者フェミニズム)は、1990年代に一部のリベラルフェミニストが、「女性は弱いもしくは代弁者が不足しているため、保護する必要がある」という偏見を強化していると見做した、他のフェミニストを批判するために使用された用語である。フェミニストであるナオミ・ウルフは、被害者フェミニズムを「窮地に立たされた脆くて直感的な天使」としての女性像を提示することで、結果的に女性が実際に持つ力に対して責任を負うことを妨げており、女性の暴力性や競争指向性を無視しながら、それらを男性や家父長制に投影していると指摘している。
ステレオタイプの女性像の強化となっているという指摘である。
だが、私達が提起している“ラディカル”・ヴィクティム・フェミニズムは、まず“女性全体”を被害者として提起するものではない。“女性全体”の中で、最も弱く保護されるべき、窮地に立たされた脆い“性暴力・暴力被害者たち”を基準とする、ということである。彼らは元々女性として、暴力性も競争指向性も持っていたが、それを心的外傷によって奪われた状態にあるのである。心的外傷の回復体験の核心である“有力化”、被害女性自身が奪われた力を取り戻すことを、ラディカル・ヴィクティム・フェミニズムの基本とする。それが引いては男性支配社会全体から、心的外傷を受けていると考えられる、女性全体の不利益の解消にもつながると、私達は考えている。
①項目で、女性だけの町、女性だけの国家を提唱したが、もしそのような場所があれば、土木など、本来男性の仕事であると見做されがちなあらゆる分野において、学びと訓練、実践の場ともなり、男性抜きであらゆることを達成できるのだという、女性の自尊心、力の源の獲得の場にもなりうると、私達は考えている。
その他、たとえば物事が語られる時、「男女」「夫婦」というように言語から男が優先されること、学問が男に主導され、あらゆる分野で男性が支配し続けてきたことによって、まるで女性が無力であるかのように思わされている、呪われていることからも、新しく女性のための言語を生むことなど、女性が有力化するあらゆる施策が、政治によって、常に現場の声を元に検討され、実行されていくべきであると考える。
③(実地で)語り合うこと(ガチバトル)
ジュディス・ハーマンは、心的外傷被害者が癒やされるためには、身体と脳と心を一つに統合することが必要で、その為の一つとして、安全な場で、被害を思い出し、服喪追悼することが必要だと述べる。「被害を思い出し、服喪追悼する」ことの、最も重要な方法の一つが、被害者同士で語り合うことである。ラディカル・ヴィクティム・フェミニズムにおいては、被害者同士が語り合うだけではなく、男性支配社会全体に生きる全ての女性が被害者だと捉え、あらゆる女性たちが実地で語り合う場を、なるべく多く持つことを提唱する。あらゆる女性たち、というのは、被害者をスケール、ものさしにする事を約束した女たちのことである。被害者だけのコミュニティ、というものの脆弱性を誰よりわかっているからこそ、被害者が、ありのまま立ち直るために、健全なコミュニティの運営に、被害者以外の女性が必要である、ということである。
④つながりの場を持つこと(再結合)
またジュディス・ハーマンはこう述べている。「心的外傷体験の核心は孤立と無縁であり、回復体験の核心は有力化と再結合である」と。私達は③の実地で語り合うことから、これまでシスターフッドと呼ばれた女性同士のコミュニティ、つながりを作ることを重要視する。
同時に、私達は新しい恋愛の形を模索したいとも考える。
ラディカル・フェミニズムにおいて、結婚制度の否定、反出生主義者や単身者と、既婚者・子どもを持つ女性との間の争いは、その弱体を招くことになった討論だ。
「私は既婚者だからフェミニストにはなれない」というような発言も未だに聞く。
私達のラディカル・ヴィクティム・フェミニズムにおいては、“インターコース(性交渉)を恋愛や結婚から切り離す”、ことを提案したい。
セクシャリティの先行研究においても、現象・言説の脱構築が目指され、性愛における「性」「愛」を分離し、中でも「性」、セクシュアリティを中心に研究が進められてきたが、私達は「愛」に着目し、19世紀のアメリカで中産階級の女性たちの間にみられた「ロマンティックな友情」と「親密な女同士の絆」を再提案したい。
現代社会において、恋愛や結婚にはまるで、必ずインターコースが伴うかのように洗脳されている。だが、インターコースをそれらから切り離すことで、場合によって女男の友情であるとか、なにより親友以上に親密な、強いパートナーシップで結ばれた、女性同士の絆の形が生まれてくるのではないか。
それが反出生主義者と既婚者の争いや、同性愛などへの不要な障壁を解体し、“敵”はインターコースを求める“男性”によって女性性が資源化されてきたことであって、引いては女性のオーガナイズの自立さえもたらすことにも繋がると考える。
女性がインターコースの主権を、あらゆる恋愛のような社会的呪いの中から取り戻すことは、単身者のみならず、女男間で恋愛している女性、既婚女性、子持ち女性に対しても、その自立の核心になると、私達は考える。
⑤心理療法と社会的支援
また被害女性の回復の土台石となるのは、心理療法と社会的支援である。
心理療法については、誰でも安価で潤沢に受けられる環境整備が求められる。
社会的支援については、雇用・賃金格差のみならず、男性支配社会システムにおいて、お笑い芸人の岡村隆史氏がラジオ番組で、「コロナが明けたら美人さんが風俗嬢やります」と発言したことに象徴されるように、女性の“貧困”が性的被害につなげられている現状がある。それは男性支配社会システムによって、意図的に作られた貧困である。
であるから、あらゆる点で、男性支配社会システムの影響で、女性全体は心的外傷状態にあると捉えられ、女性に対する金銭的社会的支援が圧倒的に必要で、それは男たちが当然支払わねばならないコストである。
⑥正義 男性支配社会システムの解体
またジュディス・ハーマンは新著「真実と修復」において「回復にはもうひとつ最後のステップ“正義“」が必要だと書いている。被害は加害者だけによって生まれたのではない、フェミニズムが示すように、この世界は男性支配社会システムによって成り立ち、そのことが女性を奴隷化、性的モノ化させている現実がある。
1~5項目を求める、あらゆる実践的社会運動、行動によって、ラディカル・ヴィクティム・フェミニズムという当事者抵抗運動は、最終的な目標として、女性差別撤廃、男性支配社会システムの解体を求めるものである。
そしてそれは、力を奪われた被害者によってだけ成し遂げられるのではなく、彼女たちには休んでいてもらい、彼女たちの気持ちを組んで、彼女たちの気持ちをスケールにして、社会全体によってなされねばならない。
最後に トレメンドスサーカスとはなんなのか(第六天魔王知乃)
私たちメンバーそしてミリタントは、性暴力、性売買被害当事者としての活動であり、誰かの声を借りるものではない。私たちがあの時言いたかったこと、いえなかったこと、レイプされた一瞬よりも長い時間。
ゴシックアンドロリータは、性売買で着させられることのない、アイコン化されていない数少ない服。男に脱がすことなんてできない、肌の見えないスカート。私たちを守るリボンとフリルの鎧なのだ。
今回こそ歌わなかったが、いつも私たちがメタルを歌うのには理由がある。裏声で、穏やかな綺麗な音程では、私たちの怒りや恨み、憎しみは伝わらない。歌ひとつとってもこの世界では「わきまえ」を強要させられる。被害者としての本質、「加害者に死んでほしい!」その気持ちをサウンドとして表せるのはメタルだけだからだ。
これからを生きねばならない私たちにとって、自分たちで作品を作り、お客さんと集い、話すこと。それこそが有力化であり、これこそが、抗うつ剤より、睡眠薬より求めていたものなのだと思う。それを今回、初めて田中と「ラディカル・ヴィクティム・フェミニズム」として言語化した。
フラッシュバックの辛い夜、過食の止まらない夜には女同士集まって男のわるぐちをいって一夜を過ごす。限界は素晴らしいこと、よく生きてたね、と集まる。団体の運営の中に、被害者以外の人間としてのアライ男性がいて、サポートをする。
私は、今私がいるこの環境をとても誇らしく、奇跡のように思う。いつも一緒にいてくれてありがとう。メンバーとミリタントのおかげで今日があり、死なないでよかったー!って思います。時間やマンパワーの関係で、できていないけど、お客さんと、有力かと再結合について、進んでいけるチームでありたいなと思う。
まだこの理論は生まれたばかりであるし、ここに書ききれなかったことも多いが、女性たちの議論(ガチバトル)と、運動の中で培われる集合知によって、洗練、完成されていくことを願ってやまない。
文責:第六天魔王知乃 田中円 TremendousCircus
参考資料
近代日本の女同士の親密な関係をめぐる一考察 赤枝香奈子
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192629/1/kjs_010_083.pdf
Victim feminism
https://ja.wikipedia.org/wiki/Victim_feminism
心的外傷と回復【増補新版】 著者/ジュディス・L・ハーマン 訳者/中井久夫 訳者/阿部大樹
真実と修復 著者/ジュディス・L・ハーマン 訳者/阿部大樹