こんにちは!劇団員の菅原茉利奈です。
先日募集いたしました“「女の子は死なない 実録演劇犬鳴村/男尊演劇死滅譚」U18レポーター”の方から、観劇レポートをいただきました!全文を掲載しますので、ぜひ最後までご覧ください。
観劇レポート
初めに
私は現在高校2年生で、学校に行ったり、大好きなお店で修行したり、音楽とサブカルが好きな普通の17歳です。女性です。
拙い文章ですが、お読みいただけると幸いです。
とにかく酷い現実
私は演劇には疎く小演劇なども数える程しか行ったことがない。文化や慣習も何も知らないただの高校生だ。学校に演劇部が存在していたこともなく、演技が体験できる特別授業のようなものもなかった。
だから、劇中で描かれるレイパーたちの存在や所業の数々にただただ驚いた。
「女は演出家にはなれない。」「女は教師になる。」「演出家は教育者じゃない(から何をやっても…)。」劇中で繰り返し出てきた表現。
演劇指導やワークショップで被害にあっているのは、私と同じような年齢の人たちだと思うと本当に恐ろしい。
演劇の分野以外でも、これから様々なことを知ったり見たりして自分や自分の考えを作っていく最中の人を、言いくるめて利用する人たちを私自身知っているし、自分では自分の意思で自分の表現をしたと思っていても実際は大人に女として消費されているだけの同世代を見る度に悔しくなる。
私は「一見、女性が自分らしく活動しているようにみえるが、実はその〝自分らしい〟要素が男性が女性を消費するための免罪符になっている」という現象に強い嫌悪感を抱いている。
演劇以外で言えば、普通とは違う個性や独特さを売りにしたアイドル(アイドルと名乗っていないこともある)や媚びないことを売りにしたガールズバー(ガールズバーと名乗っていないこともある)など。
初めから性を売りにすることや性を買うことを明瞭にして商売をしているならまだ良い。
しかし、一見では性を売りにしていないように、性を買っていないように見せかけているのはタチが悪い。
当の女性たちは、買われてることに気がついていないこともあり、本人の意図せず女性たちのアイデンティティが男性たちが性を買う言い訳に使われてしまっていると悲しくなる。
男性に評価される顔や性や女性らしさとは別の、自分らしさまでも悪質な男性に利用されてしまうのかと思うと気が重くなる。
だから、劇中に知った出来事ひとつひとつは初めて知ったことでも、演劇をやるために入った場所で女としてしか見られない現実には心当たりしかなかった。
観劇中の出来事
観劇中の男女比は体感だと半々くらいだった。私の周りがほぼ男性だったからか、観劇中所々で笑い声が聞こえてその声はほとんど男性だった。なかには1人だけが笑い声を出している場面もあって、観劇しながら違和感があった。
違和感はあったものの「あの態度は演劇の世界では普通なのかも」と思い、違和感について言及したり深く考えようとはしなかった。
後日、観劇マナーについて指摘している俳優のみなさんの発言をみた。違和感を感じながらも〝そういうものか〟と受け入れてしまっていた私は、(劇中で取り上げられていることに比べたら些細なことかもしれないけれど)〝自分が嫌だと思うことを慣習なんだと思い込んで我慢する仕草〟を無意識にやってしまっていたことを自覚した。
舞台上でも舞台を降りた後も注意深く自らを脅かしそうな存在には目を光らせ、見つけ次第全力で怒る俳優のみなさんをみて、消費なんて絶対させないとちう強い覚悟を感じた。過激な言葉や怒りの姿勢を批判する人もいるけれど、冷静に話が通じる人だけ説得していても、目の前の話の通じない脅威をどうにかできなかったら意味がない。
過激な言葉や怒りの姿勢は、浅はかな考えの表れでなんかあるわけがなくて、とんでもない熱量の本気度の表れなんだと思う。
名誉男性になるな!
表現する側やただ楽しむ側に関わらず、演劇や映画や音楽やカルチャーの世界は男性的である方が良いかのような価値観があると思う。
だから何かしらのカルチャーが好きな女性は「自分が好きなものは、男性的な世界で作られた作品なのだから私も男性的な思考なはず。その世界で女が馬鹿にされていたとしても、それは私とは違う女を売りにした女だけ」などと考え、自分の一部分を押し殺してしまう人もいると思う。
要するに〝女性である自分の権利を主張したらダサい〟という感覚を抱く女性もいるということ。
(私も以前までこのタイプだった。)
だからTremendousCircusが演劇としてフェミニズムを扱うこと、演出家は死ねと主張することにこそ意味があると思った。
演劇としてかっこよくてとがってて面白い。女性だけでもフェミニズムを大切にしていてもかっこいい作品が作れるんだと証明してくれること自体、気づかず自分を殺してしまっている女性たちの救いになると思うし、実際私はすごく救われた。
派手髪盛り髪ロリータファションで全力でかわいい衣装も素敵だった。
「実力を見てもらうには着飾ってはいけない」「〝ブスだけど〟実力派のようなキャッチコピーがなくてはならない。」「着飾ったということは見た目で消費されたいということ。」みたいな呪いを吹っ飛ばしてくれた。
自分のどんな要素も誰かに消費されたり馬鹿にされる原因にはされたくないし、絶対にさせないぞと強く思う勇気をもらえた。
どうか〝馬鹿にしていい存在のフェミニズム〟としてではなく、ひとつの作品ひとつの叫びとして多くの人に届いてほしい。
そして実際におきているレイプが無くなりレイパーたちが罪を自覚するきっかけになってほしい!(ここまでされて気づかないならそれこそ最終手段に出るしかない!)
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このようなかたちでご来場いただけたことも、作品についてこんなに深く考えていただけたことも、私は嬉しくてたまりません。
ご応募・ご執筆いただいたレポーターさん、情報拡散にご協力いただいた皆様、ありがとうございました!
次回の公演でも実施できればと考えておりますので、その際はぜひまた、情報拡散にご協力いただけましたら幸いです。U18の皆様からのご応募もお待ちしています!
ありがとうございました!